刊本作品読み語り&ギャラリートーク
2022.7.23 10:30~
「本の宝石」と呼ばれる武井武雄の「刊本作品」を大画面で読み語りいたします。
申込不要
参加費:無料
ギャラリートークのみ要入館料
※低学年以下のお子様は保護者同伴でご参加ください。
※現在このイベントは開催予定ですが、岡谷市の方針に基づき、新型コロナウイルス感染症の拡大等による今後の状況次第でイベントを中止または延期する場合があります。
※上記の場合は、当HP内でご連絡をいたします。
「本の宝石」と呼ばれる武井武雄の「刊本作品」を大画面で読み語りいたします。
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ギャラリートークのみ要入館料
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東京社(1922年)
大正時代、児童文化ルネッサンスと呼ばれるさなか、幼児教育の高揚を背景に生まれた。従来の絵雑誌の常識を破ったB5判の大型紙面、厚手の画用紙のようなマット調の用紙。五色刷りの定価は50銭。当時5~10銭の赤本の多い子どもの本の市場では破格の値段だった。「コドモノクニ」の出現は、独立した絵・一枚絵を掲げる舞台を提供。それは文学の附随物から独立したものとしての童画の確立を果たした。子供の絵雑誌を説明なしにもみることができ、楽しむことができるようなものとなり、これは後の絵雑誌に大きな影響を与えた。企画段階からかかわった武井武雄は、創刊号の表紙絵・題字ともに手がけている。
昭和54(1979)年[限定300]
【表現様式】アルミナ磁器【函】めおと函
145×142(mm) 頒布価格5,300円
アルミナ磁器は非常に硬質な鉱石を粉末にしたもの(酸化アルミニウム)を焼成したもので、非常に強度に優れた磁器である。アルミナは焼き物の窯の下にひき、素材である。まず円形のアルミナ磁器を作り、その上に製版印刷をし、焼成をして完成という手順を踏んでいる。実はこの焼成段階が一番難しく、当時「あれだけの密画を焼成に成功したのは世界最初のものだと言われて」いたようだ。焼物特有の少しの縮みが製本の美しさに響いてくるという今回も製本者の苦労が見える作品である。絵皿のイメージとして蝶をモチーフにしているという。
昭和52(1977)年[限定300]
【印刷様式】Sealing print【函】めおと函
145×129(mm) 頒布価格2,500円
当時、武井は美術著作権連合の理事長を務めていた。その時に著作権の所在を示すためのアルミ箔のシーリング(シール)を作らせた事があったという。それをもとに4cm四方のシーリングを貼りこんだのがこの作品である。このシーリングは一度貼ったら貼り直すわけにはいかないもので、随分製本者が神経を使ったという。刊本作品は函も製本も全て職人の手で一つ一つ出来上がっている。「日本でもだんだん機械製品とハンドメイド製品との格差のひらきは大きくなる一方であって手づくりの価値は充分見なおされなくてはならない時代が来ている。」と大量生産時代について言及している。日本における著作権の扱いというものは、やはり時代を経て整ってきた背景があり、武井は絵雑誌原稿を必ず返してもらうといった、他の童画家には見られなかった徹底ぶりで、昔から著作権に関してしっかりと考えを持っていたことが伺える。
昭和55(1980)年[限定300]
【表現様式】パピルス造本、凸版【函】めおと函
145×113(mm) 頒布価格7,000円
特筆すべきは刊本作品最長の4年半もの時間を費やしている所である。パピルスはペーパーの語源になった世界最古の紙であり、葦とはまた別の植物である。「紙を母胎とする本というものとはこのご先祖様と切っても切れない因縁がつながっているというわけで、刊本作品ともあるものが一度はこのパピルス造本でお目見えするのは当然の事と言わなくてはならない」というところから制作が始まった。高山でパピルスの栽培から着手され、3ヶ月後に収穫された。昔のままの製法で、パピルスの茎を皮をはぎ、芯の部分を薄く裂き、並列に並べ、その上から垂直に並べたものを布で挟み木槌でたたくというものである。一日に漉けるのが3枚という手間がこの最長記録を生みだした。パピルスの生まれはエジプトなので、そこが舞台となっている。
武井はこの珍しい作品に対して「美術的な鑑賞価値とか藝術的な綜合価値とか、そういう視野で見るべきものではない。これはパピルスである事だけが造本の目的である。」と遺している。
昭和44(1969)年[限定500]
【印刷様式】凸版【函】めおと函
170 ×127(mm) 頒布価格1,200円
表現様式や素材にとらわれず、自由に絵を描くことを意識して出来上がった作品である。オフセットやグラビアの柔らかみでなく、凸版の緻密なものを力強く刷る特徴を採用したという。武井は長年の経験から1.3倍の原画を縮小すると原画の再現に近いという比率に行きついたといい、今回もそのように制作が行われ、この印刷に関して日頃厳しい審美眼の武井が、製版、印刷ともに遺憾の無い出来と賞賛している。「喜寿も真近しというような耄碌爺が描いたとは思って貰えないような根気仕事の密画になってしまった」と75歳の本人が言う程の細密画の原画をよく鑑賞していただきたい。
昭和44(1969)年[限定500]
【表現様式】APRステンドグラス【函】めおと函
172×145(mm) 頒布価格3,700円
旭化成のAPRという素材を黒の縁に重ねて使用したAPRステンドグラスの作品である。APRは光照射によって硬化する素材で、感光前の樹脂は液状、固体そちらも可能な自由性の高い素材である。平面の印刷に開発されたが、透明なAPRそのものを使用したものがこの「迅四郎の窓」だ。ステンドグラスは西洋の教会が主である為、あえて日本に舞台をおいて西洋風に味付けしている。APR仕切り版は別の行程のためトレーシングペーパーに描かれている。実はAPRが開発途上であり、研究が完成するまでは外部にて使用してはならないと危うく打ち切りになったが、担当者が今迄の刊本作品を見たところいたく感激し、取り計らった末、無事完成したという事である。
昭和43(1968)年[限定300]
【表現様式】Sべランによるゴブラン織【函】めおと函
167×139(mm) 頒布価格7,500円
白い横線が入っているのにお気づきだろうか。実は横にSベランの紙、縦に絹糸を用い、京都・西陣の職人が織りあげたゴブラン織なのである。(絵柄を連続して織る為、製本されると縦にSベラン、横に絹糸となっている。)本家フランスのゴブラン織は画を布に染め、それをほどいてもとの絵になるように織っていき、少しのズレが美しい線となって表れる点が特徴である。織は一日8時間で約一冊分(5柄)ができるという気の遠くなるようなものである。しかも製法は金襴の織り方一緒で、Sベランに裏打ちした布の横糸を等間隔に抜き、その抜かれた部分に折り込まれるという方法である。
昭和42(1967)年[限定300]
【版画様式】koguchimokuhan【函】めおと函
143×106(mm) 頒布価格1,000円
絵雑誌コドモノクニの題字を担当している武井だが、その文字造形の美しさは特筆すべきものだろう。その細やかさとデザインセンスが発揮されているのがこの「KAGEYA」である。「この本は清潔無比手を洗って来てからでないと触れられないものを作ろうと考えていた」という。この本文の小口木版は名匠・古川孝吉氏によるものである。他にも刊本作品のナンバリングに使用される番号も武井の字を元に、氏が手掛けている。刊本作品は伝統技術を後世に遺す技術保存の意味も意識していたが、今回もそのところによるものだ。凸版に印刷では出せない細かな仕事のニュアンスを見事に表現している。インクは試行錯誤の末、黒単色ではなく白60黒40にしており、柔らかな印象である。
昭和41(1966)年[限定300]
【版画様式】彫刻凹版【函】めおと函
155×123(mm) 頒布価格2,700円
スイスやフランスの上等な切手はザンメル版というものでできているという。版の凹みにインクを一度に数色施し、プレス機の圧力によって刷り上がる方法だが、それをヒントに人生切手は作られている。今回はビュラン(銅板を削る先が細い鉄の道具)などで版を削って作る彫刻凹版を骨版にし、色はオフセット印刷によってできている。この版は凸版株式会社の証券製版課というところで8名の技術者が担当しており、少し変わった仕事という事で熱意をもって取りかかってくれたとのことである。
タイトル通り人の一生を受胎生誕、幼少年期、青年期、壮年期、老年期と頁を追うごとに構成されている。
昭和41(1966)年[限定470]
【表現様式】Sべランの本【函】めおと函
170×130(mm) 頒布価格2,750円
今回原画を展示しているが、この原画の色味は劣化したわけではない。この作品は千年前の古書の再現をテーマにしている。なので、わざわざこういった色を使用したのである。最初に「祈祷の書」という題が浮かび、そこから制作された作品である。この作品に使用されたのが、聞きなれないSベランという素材である。これはゴムを混ぜた紙で、水に強く柔軟性があり、羊皮紙のような質感が特徴の紙である。実は革製本を意識し、皮ならではの表面の細かな凹凸をつけるための研究から始めている非常に細かい神経を使った作品である。原画はこの作品以外には手をつけず、一枚につき5~6日かけて書き込まれたといい、9時間は描き通しだったとのことである。天、小口、罫下(全て本の断面)に金を用いた豪華な奇書となっている。
昭和39(1964)年[限定460]
【表現様式】絵入童話本【函】めおと函
119×87(mm) 頒布価格750円
自らをラムラム王の生まれかわりとし、サインにもRRR(=Roi Ram Ram)を使用していた武井武雄。このサインについてはあるこどもがスプーンにしっぽがはえたというのを聞いて正しいと残している。大人は字にとらわれてしまうが、RRRという形なのであると語っている。昭和13年に子供と母を亡くしたことを機にこのサインは封印されたが、RRRの金の指輪だけは生涯大切にされた。大正13年に金の星で連載された同タイトルを大人になった今思い出してみるという事で55作品目に登場した。この作品から可憐判という様式が登場し、本文は凸版印刷を使用、表紙は小口木版を採用している。ラムラム王の追いかける生きがいは真善美の追求である。
昭和37(1962)年[限定430]
【版画技法】日本伝承木版【函】帙
175×130(mm) 頒布価格1,500円
現代日本伝承木版を作りたいと思い立って、記念すべき50作品目にできたのがこの「独楽が来た」であった。日本伝承木版とはつまり浮世絵と同じ制作過程であるが、使用する色の数だけ木版を彫らなければならない。この作品では「ぼかし摺」と「光沢(つや)摺」の特殊摺が使用されている。ぼかし摺は色の濃淡がグラデーションになる摺りで、一枚目の山の部分に使用されている。光沢摺は黒の部分に①黒の墨摺り→②鼠の摺り→③上等のつやのある墨を3回重ねる方法を取っている。これは二枚目の空の部分に使用された。彫師も摺り師も最高の職人が担当している。
「内容のテーマについては独楽が原子力を表現しているものだと解釈している方が何人か居られるようだが、そう思われても一向に差支えない。本は見る人によって変貌する。という私の標語のようにいろいろの角度から鑑賞されていいわけである。然し著者の作意は原子力というようにズバリ限定したものではなくて、もっと広くすべての神秘的なエネルギーというようなものを象徴しているつもりである。これは物理学的なエネルギーに限らず精神的なエネルギーをも含めている。芸術などの生み出されるそれもその中にある。」今の時勢を先見していた武井武雄である。
昭和35(1960)年[限定300]
【表現様式】ドライポイント電鋳【函】帙
146×123(mm) 頒布価格950円
この42作品目を機に「豆本」から「刊本作品」という愛称へと変わっている。豆本は小さい事がよしとされる事が多く、勘違いされる事が多く、「刊本作品」と名称を変えたとのことである。ドライポイント電鋳とあるが、直接銅板に加工したのではなく、一度ドライポイントで石膏の雄型を作成し、それをもとに雌型を取り、電気鋳造を用いて銅を型取りして複製しているため「ドライポイント電鋳」という表現様式が名付けられているのである。そして緑青と硫酸銅、ミョウバンにて着色が行われているので現在まで時がたっても大きな緑青などの痛みが少ない。銅板を挟み込んでいるため、刊本作品中一番の重さである。この話の内容としては、奇跡は存外何でもないところに転がっているというもので、空想を科学の研究と結び付けている点は他の刊本作品でも見ることが出来る。
昭和34(1959)年[限定400]
【印刷法】Colour Gravure【函】めおと函
148×118(mm) 頒布価格930円
この絵は日本童画家協会展に童画として出品されたもので、当時こんなエピソードが残されている。「ある日会場で6番お化けの前に立っている十才位の女の児の態度についてそっと注目していると、だんだん画面に接近して行って顔をくっつけるようにして暫く見つめていたが、そのうちゲラゲラと一人で笑い出して一寸あきれる程長い時間お化けの前を離れなかった。僕は子の観客一人だけで充分労作の酬いられた事に満足した。」童画家・武井武雄はこどもが関心を寄せるテーマをしっかりと捉え、それを童画として完成させていたことがここでもよくわかる。
武井は近代のお化けは人間の心に入り込んで本性をあらわすという事に気づき、古風なお化けは一度退場するという設定にしている。
この頃のグラビア印刷においては、単色はまだしも、多色刷りに関しては欧米に比べると実験段階だったと語っている。その中でオフセット・グラビア印刷の可能性を探って作られたものである。この作品は我慢会を含めた400部が頒布された。グラビア印刷は大量に刷れば刷るほどいい特性を持っているためであり、この年受賞した紫綬褒章の記念のためではないという。
昭和29(1954)年[限定300]
【版画技法】層版・紙拓 【函】挿込函
146×109(mm) 頒布価格360円
学校などで図工・美術の時間にフロッタージュ(こすり出し)や紙版画をしたことがある方も多いのではないだろうか。これを進化させたものが層版、紙拓である。糸、布、竹の皮、羽、髪の毛、金属…何でも使用するので紙版ではなく層版と武井は名付けた。この作品は岡谷に講習へ来たついでに20日程で大部分を作ったといい、どちらかというと蕪耳庵(武井の岡谷でのアトリエ)版であるという。摺りについては、ばれんにゴムを入れて層がよりはっきり摺れるように工夫している。またカーボン紙を一刷りごとに替えて摺られたものだという。アリアのメロディを奏でている画で構成されているのだが、刊本作品友の会の会員に作詞を募集し、作者と会員の共同作業が行われた珍しい作品である。その後「ARIAに寄せる」が刊出されているが、おおむね流れや骨組みが共通しており、作者の意図が伝わっている事が確認できた新しい試みであった。
昭和32(1957)年[限定300]
【版画技法】エッチング【函】めおと函
147×111(mm) 頒布価格21,700円
武井は東京美術学校(現東京藝術大学)の西洋画科へ通ったが、研究生の時は油絵の他に版画を選択していた。そこで初めに出会ったのがエッチングの西洋版画である。以降「地上の祭」「宇宙説」と手掛けており、プランは7.8年前からあったものの、刊本作品では初めての事であった。摺りは関野準一郎の門下生で版画家として活躍した若かりし宮下登喜雄氏が担当している。武井は「センスの細かい、むらのない、いいプリントを完逐してくれたので私は満足した」と評価した。材料は箱の内側の紙以外全て特注品という凝りよう。見返しに使用されたマーブルは一番の難所だったと記されている。理由として、当時既に職人が知る限り一人存在しないことから、時間も金額(なんと一冊分紙代を除いて当時の120円!)も想像以上にかけられたことが挙げられる。その当時、懐かしいものとなっていた金縁の覆輪もつけられた。内容は唯の昔話の再話ではつまらないということで、明治時代を意識して文語体で書かれたという。
武井は仕事に根をつめ、度々胃酸過多という病気を発症しているが、この作品の制作時も発症している。
昭和32(1957)年[限定300]
【表現様式】寄せ木【函】帙
147×106(mm) 頒布価格1,500円
戦前に買った湯河原の寄せ木細工がきっかけでこの作品は誕生した。寄せ木は必要な高さの木片を組み合わせて模様を作り、薄く一枚ずつ切り落としていくのだが、寄せ木職人は大概世襲の職人でこの作品が作られた当時でも数が少なかったという。この寄せ木を担当したのが一ノ瀬鶴之助という工歴55年という重鎮である。一見渋い見た目であるが、「木質本来のオリジナルな色感だけを使うのが本筋で、又それでないと飽きのこない渋い美しさというものは得られない」ということから武井のセンスが光っている。この職人がまたすさまじいもので、持病の胃潰瘍で入院したところを抜け出し、午前2、3時まで取組む魂の掛けようであったという。一ノ瀬氏も「寄せ木の仕事も長く続けてきたが、この様な美しい本で表現された事は、始めてで、私も私の仕事に対して誇りを持つ事が出来たと共に後代の人々にも貴重な参考になるもので長く家に伝えて宝にしたい、、と非常に喜んだ返事が来た」という。古来より伝わる素晴らしい伝統を残したい、そんな武井の想いと職人の想いが見事に一つになった作品である。
昭和23(1948)年[限定300]
【版画技法】木版拓本摺 【函】帙
165×115(mm) 頒布価格260円
武井が自分でデザインした銀製のシガレットケースで拓本を取ってみたのが始まりだったという。(ちなみにこの細工は、No,22秒間の符の表紙や武井が愛用し続けた「RRR」の指輪を制作した金工家の中村董一氏が手掛けている。普通拓本というと石碑などの既成品の実寸を取る事が目的であり、版画の目的にわざわざ原版を彫るということはしない。木版の彫による高低差が立体感となってあらわれることを考えついた時、武井は一寸眠れないほど嬉しくなったと綴っている。ここでは湿拓を採用している。
湿拓
はじめに紙に刷毛で水をひき、紙を拓本をとるものの形に添わせ、丁度よい湿り具合になったら上から墨を含ませたタンポで叩いて拓本をとる方法。
昭和21(1946)年[限定300]
【表現様式】自刻木版
154×107(mm) 頒布価格55円
武井はトランプを好んで良くモチーフにしており、絵本をはじめ、自分のこどもたちのために作った手書きのトランプなども遺されている。表紙は武井のポートフォリオにもなっている。昔のお百姓時代の様子を西洋風かるたにしており、カードの中の略字はGet up before sunriseなどとなっている。次のNo,14までは戦後の物資不足の為紙が貧相なものしか手に入らなかったという。そのため「本にとって紙というものがどんなに大きく書容を決定づけるか、という事がわかる」と残している。ちなみにNo,11燈~No,14お猫様まで、製本の角裂の部分に武井家の祖先の着物の裏地が使われたという。年代の醸し出した色感の魅力は新品にはないもので、親たちとの魂の繋がりも感じたと語っている。
昭和14(1939)年[限定200]
【表現様式】 自刻木版
138×112(mm) 頒布価格75銭
この作品より刊本作品の最大の特徴である、各冊別版式の表現様式を企画するようになった。昭和13年に武井は母と二男、三男を亡くし、その悲しみを紛らわすためにこの木版をひたすら削ったという。「童語」は当時武井がこどもの口から出る新鮮な言葉を蒐集しており、半分ほど亡くなったこどもたちの言葉を収録し、供養の心としたという。この本には「署名いたさず」と書いてあるが、何かとげとげしい邪魔と横暴さはあの時の感じがまる出しに出ていると綴っている。
昭和10(1935)年[限定200]
【表現様式】一色凸版
140×120(mm) 頒布価格35銭
武井武雄刊本作品の記念すべき第1冊目。イルフトイスの賛助出品として制作されたものである。この形式はNo,4まで続く。この頃の特徴として「RRR」(Roi Ram Ram=ラムラム王。武井が1926年に出版した長編童話で自分の事をラムラム王の生まれ変わりとしている)のサインが使用されている、和綴じ本であることが挙げられる。
イルフトイス
新しいおもちゃの創造を目指し、玩具・小手工芸品展を開催した。お母さんのおっぱいの次に触れるのがおもちゃだと考えた武井は、こどもたちのためにいろいろなイルフトイスを設計した。もともと郷土玩具の蒐集をしていた武井が自然と行き着いた活動であった。
イルフは古い(フルイ)の逆読みで新しいという意味の武井の造語である。